「島桑杢・駒台」を手直しする風景。
相変わらず「棋譜」よりも「棋具」の方が気になっている始末で、
まったく勉強に身が入ってない証拠である。。。
日頃より少々の事なら、たとえ「影水」の駒だろうが「日向榧」の名盤だろうが、
棋具は自分で修理・手直しをしている。
中でも磨きの仕事は、本職の方からもお墨付きを頂いたほどの腕前?で、
このあたりは、さすがに職人の血が流れている所以と言えようか(笑)
ちなみに盤の「ロウ引き」道具なども、一丁前に自作したモノである。
修理に使用する道具は「ペーパー」をはじめとして、「彫刻刀」くらいの刃物や、
「割り箸」「爪楊枝」「綿棒」「毛抜き」など、身近にあるものは何でも利用する。
出来る事は自分自身で手を加える事で、ますます愛着も湧いてくるものである。
しかし、人によっては「名工品に手を加えては価値が無くなる」と唱える方もいる。
特に「駒」の世界では、たとえ修理でも先人の作品に手を加える事を嫌う職人は多い。
個人的な感覚だが、筆者はこの考えには否定的である。
棋具に限らず、道具は大事に使用し、傷めば修理・再生する事は大切な事だ。
確かに「駒」の場合、現存の状態を維持しておきたい気持ちも理解は出来る。
そのような思想を持たれている方々の多くは、「駒」を資産的な視点で捉え、
その「資産的価値」や「芸術的価値」を重視されているのだろう。
歴史家や研究家、富裕層のコレクターの方々なら当然かもしれない。
しかし、筆者は富裕層や芸術家でもなければ、コレクターとも自覚していない。
単に、安くはない金額を払ってまで購入したのに死蔵させたくないだけである。
従って、筆者のような低所得層者には無縁の話と言えよう(笑)
昔からの「モッタイナイ」という言葉は、今更ながらの名言なのである。
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