将棋駒には、「面取り」が施されているものがある。
その種類は様々で、軽く実用的なものから、美術的な意図に手を凝らせたものまで、
作者によって各々の特徴が見られるのも面白いところだ。
実用的な面取りの場合、あまり過度だと駒の“シャープさ”が損なわれ、歪な雰囲気になってしまう。
とは言え、1~2度ペーパーの上を滑らせただけの簡略的なものは、実用的にはほとんど効果が無い。
また、大きな面取りが施された駒は、その縁曲によって盤上で駒を“おはじき”のように弾く場合もある。
これは筆者の実経験でもあるが、これまでプロ棋戦の舞台でも幾度か目撃した事もある。
作意と実用のバランスが噛み合っていない稀なケースだと言えようか。
よく、駒の面取りは「盤面に指しキズをつけないため」とも言われるが、これは指し方次第。
筆者の場合、適所に適度の面取りがあれば然程盤面は傷まないが、その程度は各人様々だろう。
ちなみに筆者は、購入した駒の面取りが甘かった場合、自身で独自の面取りを施す事がある。
ただし、その程度はごく軽いもので、あとは日頃の実用や乾拭きの手入れによって面取り具合を完成させていくというスタイルである。
写真は、現在筆者が最も愛用している「光匠作・初代書」の一字駒。
ある時、来客者から何気にこの駒を紹介されたのだが、その厚い駒形の指しやすさや駒文字の見やすさなどに魅了され、今ではすっかり虜になってしまった。
これまで薄い駒形が好みだった筆者は、駒厚で面白味の薄い一字駒には全く興味を持っていなかったが、
これは実用派の筆者にとってまさしく打って付けの駒である。
そして、早速の購入へ(笑)
本来は彫埋めが希望だったが、あいにく在庫は盛上げしかないとの事。
「よ~し、これを使い込んで“彫埋め”にしてやろう」となったのは想像に容易い事である。
ところで、一字駒は一字が故に意外と文字バランスが難しい。
実際この駒を求める時も、同じ書体だが、それぞれ文字の表情が微妙に異なっていた。
幸いな事に、この駒は「王」の曲線や細身の「角」などが筆者の好みに合致したのも購入の決め手である。
ただ、この駒の難点は、新品時の「面取り」が少し甘かった事。
そこで、上記の要領で微量な面取りを施す。
駒の“キレ”は失われず、味良くその基礎が出来たと我ながら自負している。
さ~て、まだまだこの駒の修行は始まったばかり。。。
彫埋めになる頃には面取りも完成され、素晴らしい駒に育っているだろう。
ただ、その頃の筆者の棋力については・・・別問題であるw
[19回]
PR