忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「今、思ふ」



15年ほど前に、天童に行った時に購入した彫埋め駒。
平成一桁時代、まだまだ世間の景気が良かった頃である。

当時の筆者は盛上げ駒こそ1組所有していたが、駒にはそれほど造詣がなく、
「ここらで少し模様(斑・杢)のある駒が欲しいな」くらいの感覚だった。

色々拝見していると、お店の方より、
「この駒は良い木地ですよ」
「大阪あたりなら20万くらいするでしょう」
と言われ、紹介されたのが写真の駒。当時の価格は15万円だった。

新品時の駒はまだ白っぽく、クッキリとした柾目が単純にキレイだった。
見ているとだんだんその柾目の清涼感に惹かれ、結局この駒に決めた。

それから現在まで使い込んできたこの駒は、適度な飴色に育った。
今にして思うと、この駒は「赤柾」とは言えないまでも上質の柾目だったと思う。

さらに「大阪で20万」と言われたので、浮いた?5万で駒箱も購入。
駒を柾目にしたので、駒箱は当時初めて見た派手な材を選んだ。

こちらも後年に判明した事だが、駒箱は天童の吉田宏介師の作品(タモ材)だった。
当ブログの初回記事「ご挨拶」の写真右端の駒箱がそれで、
今にして思うと、「タモ」の中でも杢目の詰んだ中々の良材である。

その後、「棋道」から脱線?して「棋具道」へと転換してしまった自分だが、
「将棋」に愛情をもって取り組んでいる事に間違いはない。

当時、ロクな知識もなく購入した棋具だが、天童の良いお店にも恵まれ、
現在でも大切に思えるのは、今にして思うと大変幸運な事である。

これはきっと、将棋の神様の御計らいに違いない(笑)

拍手[0回]

PR

「ブックフレンド」



写真は筆者の勉強?風景。

通常では別室にて脚付き盤を使用しているが、暑い夏や寒い冬は、
空調の効いた居間にて、熊澤良尊師・作の「将棋チェスト」を使用している。

ところで、横に置いてあるのは「ブックフレンド」なる書見台。
先日、ある方の自宅にお邪魔した際、大変便利の良さそうなこの道具を知った。

「良い」と思ったモノは、即実行に移すのが筆者の流儀である。

何事にも「形から入る」筆者の行動力は、その日の晩に同商品を見つける。
正式名「ブックフレンド」というこの商品は、発売当初から改良に改良を重ね、
現在の最新版は(おそらく)3代目である。※ちなみに写真のは(おそらく)2代目。

この他にも様々なタイプ
があり、本来は「介護商品」に属するようだ。

これまでは、主にパソコンに棋譜を読み上げさせて棋譜並べをしていたが、
たまに古い棋書を引っ張り出して勉強したりする事もある。

この場合、胡坐をかいて足の上に棋書を置いて棋譜並べをする訳だが、
コップの水滴などが大事な本に落ちないように気遣いながら勉強する必要があった。
これでは気が散り、タダでさえ出来の悪い筆者のオツムには酷な話である。

しかし、この「ブックフレンド」を活用する事により、上記の問題は払拭された。
しかも神聖な盤の前では、キチンと正座をする事も可能だ。

あとは、如何にして盤・駒の魅力に困惑されないかが問題である。。。

拍手[3回]

「太刀盛り」

碁盤や将棋盤の升目は、高級品には「漆」が用いられている。
その「漆」にも産地など品質の差もあり、やはり国産が最高級とされている。

国産漆が高価とされる要因は、ひとつは生産者の減少にある。
ここでも職人の世界同様、「後継者不足」に頭を痛めている所以であろう。

もうひとつは、国産ならではの「伸びの良さ」があげられる。
「お米」は、その産地(の水)で炊いたものが一番うまいとされるのと同様に、
国内で採取する「漆」は、その国の湿度などの気候にもなじみ、
「漆」本来の良さを、存分に発揮できるからであると言われている。

写真は、その国産本黒漆を使用した「太刀盛り」風景。
太刀はその刃を潰してあり、残るその精巧な直性を利用し直線を引く。
湾曲面は、刃が離れる際に漆を引っ張り、美しく線を盛上げるという仕組みである。

間近でみているとあっと言う間なので、誰でも簡単に出来そうに感じるが、
刀を入れてから離れるまで息を止め、横ブレしないように均等のスピードで
盛り終えるその繊細さは、さすがに熟練された職人技である。
実際、この作業の前日には、手の震えを予防する為に力仕事は避けられる。
将棋盤でこの苦労なら、碁盤ではさらに神経を疲労する大変な技術だろう。

盛り上げ駒と同様に、盤の升目も歴戦の使用により磨耗していく。
しかし残念ながら、現在この「太刀盛り」を継承する若い職人は希少である。

升目さえあれば、ゲームとしては囲碁も将棋も十分楽しめるものだが、
本漆で盛られたその美しい直線や光沢の魅力も、日本ならではの文化である。

「職人末期時代」と言われる現世に生きる我々は、大変に幸運なのかもしれない。。。


拍手[0回]

「女流棋士」

連盟のHPにて「女流棋士会分裂の経緯・公式見解」が公開されている。
まずもって、女流棋士が無給・無保険であることは知らなかった。

あまり経緯等を把握していないので、詳細は理解出来ていないが、
この件について、勝手ながら個人的な感想を述べさせて頂きたい。

まず、「奨励会三段リーグを卒業した者を正会員とする」という連盟の意見は当然である。
近年でこそ、アマチュア編入制度など、その「柔軟性」を示してきた連盟だが、
至極・勝負の世界である以上、実力が伴わなければ正会員になれないのは仕方ない。

これまで多くの実力ある奨励会員でさえ、涙を呑んで退会されていった方も多い。
正会員になる為には、男女を問わず、誰しも実力で勝ち取るしかない。
そこに「女性だから」といった好都合は存在しないのである。

反面、少なからず将棋界への関心や普及面でも一役担っている女流棋士に対して、
無給・無保険は、あまりに不遇とも言えよう。
ビジネスの世界では、女性層の集客を大変重要な点に位置づけている。
もし、女流棋士が存在していなかったら、将棋人口は今より確実に少ないだろうし、
その棋界への貢献度は、決して無視できないものである。
一案として、女流にもリーグ(順位)戦があるので、ある一定の上位棋士は「準会員」
とするなど、全体のスキルアップにもなるような、こんな制度はいかがだろうか?

昨今の男女情勢では、実力ある女性の台頭が目覚しくなってきた。
実力のある者は、男女を問わず、世間はどんどん認めていくべきである。
ただ、そうである以上、女性は最後まで女性である事を盾にすべきではない。

一般社会でも、まだまだ女性の不遇面も散見されるが、反面、女性の優遇面も存在する。
必ずしも、女性にとって不利ばかりの世の中ではないのである。

古くから「男女は同権でも、同質ではない」と言われる。
男女がお互いの「質の違い」を理解し、尊重しあえる世の中になって欲しいものである。

拍手[1回]

「名人位」

第67期名人戦七番勝負は、羽生名人が通算6期目(歴代単独4位)となる
フルセットの末の防衛にて幕を閉じた。

一方の敗れた郷田挑戦者だが、森内名人戦に続きフルセットまで持ち込んだその剛力は、
まさしくA級棋士を代表される、堂々たる実力者と言えるだろう。

しかしながら最終局の終盤では、いささか迫力を欠いたような、
「郷田九段らしくない」淡白な内容だったようにも感じた。

別の見方で言えば、まず有り得ない事だが、ゴシップ好きな賑者に対しては、
「水面下の圧力」を想像させるかのような、どこか誤解を与えてしまいかねない、
不可解な指し口ではなかっただろうか?

個人的にも、以前に掲載した「助からないと思っても、助かっている」を
彷彿させるような、ギリギリの白熱した最終局を期待していただけに、
少しあっけない幕切れだったと言うのが、筆者の素直な感想である。

全棋士参加の最高棋戦である「竜王位」と、実力性の歴史に象徴される「名人位」は、
それぞれが最上級タイトルとは言え、その性質は違なるものである。

「竜王」がその年の最強者なら、「名人」はその時代の権威者であろうか。

世間一般では、「木登りの名人」や「ものまね名人」など、
比較的かるい雰囲気で繁用される「名人」という言葉だが、
こと将棋界に於いては、大変に重く、最高の威厳にあふれた敬称である。

先述した「名人は神に選ばれし者」論の賛否性は定かではないが、
歴史ある実力性の権威・象徴である事には間違いないだろう。

今後の「名人位」は、羽生名人がどこまで君臨を続けられるのか?
はたまた、次代の権威と象徴を示す者が近々に現れるのか?

まったく将棋界の未来には、興味が尽きないものである。


拍手[0回]

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

【管理人】
歩兵

【趣味】
将棋全般・カメラ・書道

【自己紹介】
将棋盤・駒・棋具に精通?
几帳面な性格?のO型。
愛機はD300(Nikon)


←☆管理人へメール☆

PR

最新コメント

[09/17 秋吉]
[09/16 hisanobu etou]
[09/05 まるちゃん]

最新トラックバック

ブログ内検索

※当サイトに掲載されている記事や 写真等の無断使用は禁止致します。

バーコード

アクセス解析

忍者アナライズ