運命の平成21年大相撲初場所が始まった!
強行出場の朝青龍の進退問題や新・大関 日馬富士のデビュー、
ベテラン大関 魁皇のカド番など、話題に尽きない注目の場所である。
ところがフタを開けてみると、危なげながらも朝青龍は連勝!
日馬富士の連敗、好調の魁皇。。。など、観衆の盛り上がりは大変なものである。
中でも朝青龍。。。
場所前の世論調査では、「もう引退した方が良い」との意見が「まだまだ頑張って欲しい」
との意見を多少上回っていたが、場所中の彼の人気はズバ抜けたものがある。
特に初日の取り組み前の表情や気合の入れ様には「鬼神」をも感じさせる気迫があった。
何だかんだ言っても観衆はやっぱり強い力士が好きなのだろうし、
第一、彼がいなくなると大相撲人気は大きく減退するだろう。
協会も優等生の白鵬に対して、今や例えヒール役であっても、
「朝青龍効果」の興行性を考えると、運営上でも外したくない存在なのではないだろうか?
前・北の湖理事長の一連の言動がそれを象徴している気がする。
その朝青龍無敵時代、協会も「他の力士は稽古が足らない」などと揶揄していた。
ところが「好事魔多し」、人の妬みの卑しさと言うのか、
相手になる力士がいなくて、ただでさえ個性の強い彼に対し、
一転、横綱としての「品格」を問われる意見が、外部委員などより急説したのである。
最近では「朝青龍殺害予告」の犯人に対して、
「逆に殺しちゃうよ」との発言が問題視されているが、
強気な人なら一般的に誰でも答えそうな意見だし、
一種のサービス精神だったのかも知れない。
以前の外部委員の意見では、
「朝青龍が取り組み前にマワシを激しく叩く気合入れがタヌキの腹叩きみたいで、
他力士にもマネをする者が出てきて品格が無い」などのおバカな意見も飛び出した。
あのパフォーマンスこそ、彼の魅力のひとつではないか!(笑)
「懸賞金受け取り左手問題」では、手刀を切らないなら問題だが、
どの世界でもサウスポーはいるものであり、そんなに大害の無い駄論だとも思っている。
確かに目立つ素行の悪さもあるし、大麻問題のように、
協会内部の管理指導のずさんさも否めない。
しかし、かつて誰もが朝青龍に勝てなかった当時、
彼が一人横綱として大相撲界を牽引し続けてきたその重大なる功績は、
なぜ評価さないのだろうか?
そして、もうひとつはマスコミによる誇張表現の影響もある。
イヤミなほどの執拗かつ皮肉な質問などで挑発されると、
人間誰しも、少しは怪訝な態度にもなるだろう。
それを待ってましたとばかりに誇張報道されると、
ますますマスコミ嫌いになるのも当然である。
このように現代社会では、妙に様々な「品格」が問われだしたものである。
「品格」を重視するあまり、「個性」「人間味」など、
「人、本来の魅力」が稀少となってきた様にも感じている。
将棋界でも、かつての升田先生や芹沢先生のような、
「人間味」あふれる個性派が、多くのファンから愛され魅せられてきた。
現代社会は非常に窮屈である。
変な「品格」にこだわるより、もっと自由に開放的に生きて、
犯罪者や他人に迷惑をかける者には極過度の厳罰を処すくらいの社会の方が、
(罰金が重くなり激減した飲酒運転違反の様に)、善良な市民が残り、
世の中が活性化され、景気回復への大きな起点になるのではないかと思っている。
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