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「囲碁」

その昔、本格的に将棋を始めた頃、
道場内の隣で打たれている「囲碁」にも興味を持った事がある。
ちょうど将棋の相手もいなかったので、囲碁エリアへ行き、
ちょっと教えを請う事にした。

当然ながら将棋よりも広い盤面。これが「宇宙流」たる所以なのか?

「簡単に言うと、囲碁は陣取りゲームや」
「どこでもいいから、まず黒石を置いてみな」
「それが陣地を取ったという意思表示になるんだよ」

何の事かサッパリ分からない。教え方がヘタなのか?(失礼!)
さらに将棋と違い「カンッ!」という指し心地、etc・・・。

入門時間、タッタノ10分!
やっぱり、将棋の方がいいです。
ありがとうございました。。。

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「友人」

遠い遠い昔、小学生の頃、学校で「将棋ブーム」があった。

その頃、クラスメイトが、親から買ってもらったとしきりに自慢していた
(おそらく)銀杏の折れ盤と、(おそらく)シャムツゲ略字彫駒が、
ひときわ輝いて見え、羨ましく思っていたのを覚えている。

当時の自分は、木板(材質不明)にマジックで升目を引いた自作盤に、
犬がかじりまわして表面が凸凹になったプラ製略字彫駒を大事に愛用していたものである。
※犬がかじったと言うのが、谷川先生とは違うところ(笑)

しかし、少年の心とは、なんと清く美しいものか!!反省!!!

そして同じクラスメイトに、自分と学校中で実力トップを争っていた良きライバルがいた。
彼とは将棋を知らなかった1年生の時からの付き合いで、現在では一番古い友人でもある。

中学に入学すると、何となくお互いに将棋をやめてしまい、一緒に柔道を始めた。
元々体格も良く、要領の良かった彼は、月謝も払わず?着実に力をつけていった。

高校生になると、学校は別々だったにもかかわらず、お互い柔道に打ち込む傍ら、
何故か2人共「刑事コロンボ」にハマり、映画のみならず、古本を買い漁っては
ストーリ批評などをしていたものである。

しかし大学在学中、将棋熱が再燃した自分の傍ら、
彼はとうとう将棋に戻ってくる事だけは無かった。

不思議な事に、そんな彼が現在の自分の将棋バカの一番の理解者?でもあり、
よく支援もしてくれる。
両親のいない自分にとって、彼は大事な相続人でもある。
いやいや、感謝しております。。。

写真は若かりし頃の友人。柔道は弐段。工作職人。人は彼を「マイク・ショー」と呼ぶ。
この「冒涜」とも言える彼のコロンボ顔マネも、今では愛嬌のある良き思い出である。

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「赤柾」

駒木地の中で、個人的に好きなのは「柾目」である。
普段から使用する事に重きを置いている為か、
視覚的にもこのスッキリとした清涼感が、なんとも心地良い。
しかし、人間ワガママなもので、いつも同じ光景では飽きがくる事もある。
そんな時は駒を替え、虎斑や根杢系木地の駒で楽しむ事もあるが、
2~3日でスグにまた柾目木地へと戻ってしまう。



写真は素晴らしい柾目木地。
その中でも、いわゆる「赤柾」と呼ばれる木地である。

若干荒目気味とも言えるが、その分自然味があり、その年輪はクッキリとしていて、
専門家によれば近年では中々お目にかかれない木地との事。
柾目木地は、あまり目詰まりが細かくなり過ぎては、
逆に味気が無くなるものでもある。

コレクターの中では、その各書体に於いて
「錦旗に始まり、錦旗に終わる」
という言葉があるが、個人的に、木地では
「柾目(板目)に始まり、赤柾に終わる」
という言葉が成り立つのではないかと思っている。

ただし、この「赤柾」も、あまりにも素晴らし過ぎると
「斑・杢系」と同じくうっとり魅入ってしまい、棋譜には集中出来ない。
本当に対局が面白い局面になったり、面白い棋譜を並べて熱中している時、
人は木地など目にも入らないものである。

盤・駒などのコレクターは、ほとんどの場合、
将棋への情熱(愛情)から棋具へと発展していく過程ではないかと思うが、
あまり気持ちが過ぎると本末転倒!!
道具に魅せられ、棋力向上の妨げになってしまう!(独断と偏見?)

将棋を愛し、これからも更なる棋力向上を望まれている方々へ・・・。
盤・駒は、気持ちを引き締める程度の高級品にしておいた方が無難です(笑)

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「作法 2」

将棋の作法のひとつに、手番を決める「振り駒」がある。

対局前に、記録係などが掌の中で「ガチャガチャ」と激しく振り混ぜる所作があるのだが、
いかにも駒にアタリキズがたくさん付いてしまいそうで、未だにどうにも好きになれない。
さらに、対局者が命を吹き込むかの如く一度並べ終えた状態から駒を拝借し、
終わればまたバラで戻すと言うのにも違和感を感じてしまう。

「振り駒」は、タイトル戦の緒戦や手番直りの最終局でも当然行われているが、
その駒が愛棋家などからの貸与品である場合も多い。
新品も多く提供されていると思うが、この作法では、
所有者はハラハラしないものなのだろうか?

中には、「それも含めて名誉の勲章」と捉え、
「作法である以上仕方ない」と考える方もおられるだろう。
そのように素直に思えない自分は、たとえ機会があっても
「使って頂く資格」がないのかも知れない。

それから、この「振り駒」には両対局者の所作は無く、
ある意味「他人まかせ」という面もある。

例えば囲碁の場合、手番決めは「ニギリ」と言い、
上位者がニギった石数を下位者が奇数か偶数かを当てて決める。
その際、双方の意思表示が所作として存在し、結果は「自己責任」と言えなくもない。
麻雀にしても、場を決める場合、「東西南北」を「ツカミ」で行う場合や、
任意の数牌と混ぜて開く場合など、各人の所作が「自己責任」として存在する。
そしてそれら全てには、並べた駒を崩すような無駄な所作も存在しない。

将棋にも無駄なく「自己責任」のある、何か新しい手番決め作法が登場しないものだろうか?

そこで、以前より個人的に考えていた手番決めを紹介してみたい。

まず対局開始前、駒袋から上位者が任意の駒1枚を選出する。
そして下位者も任意の駒を1枚選び、盤上に表示するというものである。

駒には表裏があるので、下位者が上位者と表裏が合えば勝ち(先手)、負ければ後手。
駒は「歩兵」などと決めていても良いし、上位者の1枚は隠し駒や振り駒でも良い。
囲碁と麻雀を合体させたような作法で、これなら駒がキズ付く事もないし、
お互いの所作も存在する。結果も「自己責任」である。

名して「決め駒」!!!

あるいは「当て駒」「合わせ駒」なんてのもいいかしら?
是非、皆様のご意見もお聞かせ下さい!(笑)

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「作法」

あるサイトにて、駒箱・駒台の作法についての記述を拝読した。

対局で駒箱を開けて駒袋を取り出す際、駒箱の上蓋をひっくり返し、仰向けに置く棋士もいる。
しかし高級な駒箱などは、職人の製作意図として、もっとも木目や木肌の美しい部位を天板に使用している場合が多い。

仰向けに置いてしまっては、その天板の美しさを隠してしまうばかりか、長年の使用の擦れなどで天板にキズが入ってしまうおそれがある。
その為、駒箱の上蓋はひっくり返さずに伏せて置く事が正しい作法だと言う。

「なるほど!」と、ふと、日頃の自分の作法を顧みた。
ほとんどの場合、ひっくり返さずに伏せて置いている。あ~よかった!(笑)

続いて、駒台の作法について。

一般に盤の木目は、柾目・板目を問わず上下方向に木目が走っている。
その両脇に駒台を設置する際、天板が柾目の駒台なら自然に盤の柾目に沿って合わせがちだが、「斑」や「杢」の入る天板の場合、これには感美的な個人差も出て、統一の作法として定着させるのは難しいのではないかと思う。

「斑」は、通常木目に対して横方向に入るもので、その強弱の差もあり、「杢」は、その「不均等な斑」とでも言うのだろうか、「玉杢」や「孔雀杢」など様々な種類の美しい木肌をみせる。

木目よりも「斑」や「杢」の方が強い場合もあり、盤に合わせる際、木目を基準にするか否かは個人の感覚(センス)によるものになるのではないだろうか?



写真は、駒台・駒箱を自分流にて設置したところ。

師職人が唱える作法では、この向きで正しいのかどうかは分からないが、この駒台は気分によって上下を180度逆さまにするくらいはよくしている。
90度向きを変える事はほとんど無い。

ちなみに、駒箱の「カマエ」は横向きで、盤上の升目中央9升に納めるのが美しい。

確かに、個人的にも対局中継などを観ていて、双方の駒台の向きがチグハグになっていたりすると、何とも景観に耐えないものがある。
しかし、「材」に造詣の深い者なら、そのように一番美しい景観を求めるものだろうが、当の対局者たちは目の前の勝負の方が大事で、駒箱の天板の美しさや駒台の方向などは、気にも留めない「ドウデモイイ」事なのではないだろうか?

仮に、対局前に関係者によって正しく設置されていたとしても、時には対局者自身が「ゲン直し」とばかりに、ワザと駒台の向きを変える事もあるのかも知れない。
アマチュアでも全国区などの強豪は、案外道具には頓着がない傾向にあり、ましてプロ棋士でも、多くの方は必ずしも高級な棋具ばかりは所有されていない。

このあたり、棋具に於いてはアマチュアの方が知識や造詣に深く、数多くの高級棋具を所有されている方が多いのも事実である。
冒頭にて、偶然自分の駒箱作法が正しかったのも、単に自分が「銘木好き」だから、自然に出来ていた所作に他ならないと思っている。

ところで、かの大山(十五世名人)先生は、「良い道具を持てば、将棋を大事にする心が芽生え、将棋も強くなる」と唱えられていた。

しかし、これには含説もあるようで、実際のところ「所有する棋具(の質)と、将棋の棋力は反比例する」という説の方が的を得ているような気がするのは、果たして自分だけだろうか?

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【自己紹介】
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几帳面な性格?のO型。
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